【5分でわかる】与謝野晶子の生い立ち、代表作、文学活動

与謝野晶子

与謝野晶子は、情熱的な詩と短歌で知られる明治・大正期の女性歌人です。

彼女の作品は、女性の官能や戦争の悲劇を大胆に描き、多くの読者の心を揺さぶりました。

こちらの記事では、波乱万丈な人生を歩みながらも、短歌、詩、童話、評論と多彩なジャンルで活躍し続けた晶子の足跡をたどり、彼女が日本文学に刻んだ深い軌跡を振り返ります。

目次

与謝野晶子の生い立ち

与謝野晶子(本名:鳳志やう:ほう しょう)は、現在の大阪府堺市にある和泉国第一大区甲斐町で、老舗和菓子屋「駿河屋」を営む父・鳳宗七と母・津祢の三女として生まれました。生まれた家は没落の兆しを見せており、彼女は3人目の女の子だったため、両親からは冷遇されることもあったようです。

幼少期の晶子は、9歳で漢学塾に入り、琴や三味線を習いながら古典に親しむ日々を過ごしました。堺市立堺女学校(現・大阪府立泉陽高等学校)に入学すると、『源氏物語』などの古典文学を読み、兄である鳳秀太郎の影響も受けながら、文学の世界にのめり込んでいきます。特に『文学界』や紅葉、露伴、一葉などの作品を読むことが、彼女にとっての楽しみとなっていました。

16歳の時には、『文芸倶楽部』に「鳳晶子」の名で短歌を投稿し、これが彼女の文学的な一歩となります。20歳頃からは家業を手伝いつつ、和歌を投稿する日々が続きましたが、1900年、浜寺公園で行われた歌会に参加した際、運命的に与謝野鉄幹と出会います。この出会いが彼女の人生を大きく変えることになります。

与謝野鉄幹との不倫関係はスキャンダラスなものでしたが、彼女はそれを恐れず、鉄幹が創設した新詩社の機関誌『明星』に短歌を発表し続けました。そして、翌年には家を出て東京に移り、女性の官能を大胆に表現した処女歌集『みだれ髪』を刊行。この作品で、彼女は浪漫派の歌人としての地位を確立します。

その後、鉄幹と結婚し、12人の子供を産み育てる一方で、彼女の文学的活動はますます広がっていきました。与謝野晶子の人生は、波乱と情熱に満ちたものであり、彼女の歌にはその豊かな経験が反映されています。

与謝野晶子の文学活動

与謝野晶子は、その情熱的な作風で知られ、特に歌集『みだれ髪』(1901年)と、日露戦争中に発表された詩『君死にたまふことなかれ』が有名です。また、彼女は『源氏物語』の現代語訳でも広く知られています。

『みだれ髪』では、女性の官能を率直に詠い、浪漫派歌人としてのスタイルを確立しました。彼女の作品は、当時の歌壇に多大な影響を与え、「やは肌の晶子」と呼ばれるようにもなりました。

1904年、弟が日露戦争の旅順攻囲戦に従軍した際、彼の無事を願って『君死にたまふことなかれ』を発表しました。この詩は、晶子の反戦的な姿勢を象徴するものとして広く知られています。

しかし、晶子の作品は必ずしも一貫して反戦的ではありません。1910年に発生した第六潜水艇沈没事故や、第一次世界大戦の際には、戦争を賛美する詩を作るなど、時には戦争を美化する側面も見せました。1942年には『白櫻集』を発表し、かつての『君死にたまうことなかれ』とは対照的に、戦争を鼓舞する詩を作り、反戦家としての一貫性に欠けるとの批判も受けました。

1911年には、『青鞜』の発刊に参加し、「新しい女」としての名を掲げ、婦人参政権を訴えるなど、女性解放運動にも積極的に関わりました。また、1915年には、読売新聞に発表した長詩『駄獣の群』で国会や議員に対する不信感を詠み、社会的な問題にも鋭い視点を持ち続けました。

晶子が34歳の時には、『新訳源氏物語』を出版しましたが、参照した北村季吟の『湖月抄』に誤りが多かったため、一からやり直し、『源氏物語』の全巻を再度翻訳しました。関東大震災で一度原稿が失われたものの、再び挑戦し、17年かけて『新新訳源氏物語』を完成させました。

晶子の文学活動は、短歌や詩、評論にとどまらず、童話や少女小説風の物語にも及びました。彼女は、『環の一年間』や『八つの夜』などの童話集をはじめ、数多くの作品を雑誌に発表し、その執筆活動は1907年から1925年まで続きました。与謝野晶子の文学活動は、幅広いジャンルに渡り、その影響力は今なお色あせることはありません。

与謝野晶子の代表作

与謝野晶子は多くの名作を生み出した、日本を代表する歌人です。彼女の代表作を10選、以下にご紹介します。

  1. 『みだれ髪』
    1901年に発表された処女歌集。情熱的で大胆な恋愛を描き、浪漫派歌人としてのスタイルを確立しました。「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」などが収録されています。
  2. 『君死にたまふことなかれ』
    日露戦争中に発表された反戦詩。弟を戦争に送る姉としての痛切な思いが込められ、多くの共感を呼びました。
  3. 『新訳源氏物語』
    古典文学の名作『源氏物語』を現代語に訳した大作。彼女の文学的な才能と古典への深い理解が光ります。
  4. 『白櫻集』
    1942年に発表された歌集。戦時中の作品で、戦争を鼓舞する内容が含まれ、晶子の作品の中でも異彩を放っています。
  5. 『そぞろごと』
    『青鞜』発刊に寄せて書かれた詩。「新しい女」の一人として名を連ね、女性の権利と社会的地位向上を訴えました。
  6. 『駄獣の群』
    1915年に読売新聞に発表された長詩。国会や議員への批判を歌い、社会に対する鋭い視線を示しました。
  7. 『戦争』
    第一次世界大戦中に発表された詩。嫌戦的な作風から一転し、戦争を賛美する内容が含まれています。
  8. 『新新訳源氏物語』
    『新訳源氏物語』の改訂版。関東大震災で原稿を失いながらも、再び一から執筆し直した執念の作品です。
  9. 『環の一年間』
    晶子が手がけた童話作品の一つ。彼女は童話や美文にも才能を発揮し、多くの子どもたちに夢を与えました。
  10. 『あくがれ』
    晶子が初めて長編小説に挑戦した作品。歌人としての才能を持つ主人公を通じて、恋愛や人間関係、芸術に対する情熱が描かれています。晶子の文学的な感性が短歌以外の形でも表現された貴重な作品です。

これらの作品を通じて、与謝野晶子の多彩な才能とその文学的な足跡を感じていただければと思います。

与謝野晶子に関連する人物

与謝野晶子を取り巻く人物たちもまた、日本の文化史において重要な役割を果たしています。

  • 与謝野鉄幹: 晶子の夫であり、共に「明星」を創刊し、日本の近代文学に大きな影響を与えた歌人です。晶子との恋愛や結婚は、当時の社会に大きな衝撃を与え、話題となりました。
  • 正宗敦夫: 和気郡の歌人で、与謝野夫妻と共同で『日本古典全集』の刊行を手がけました。
  • 西村伊作: 建築家。晶子と共に文化学院を創設し、男女平等教育の実現に尽力しました。
  • 石井柏亭: 画家。同じく文化学院の創設に携わり、晶子と親交を深めました。
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