【5分で分かる】芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)生い立ち・代表作・謎めいた最期を解説

芥川龍之介

芥川龍之介。その名を知らない人はいないでしょう。彼の作品は、今も多くの人を魅了し続けています。

こちらの記事では芥川龍之介が生きた時代、文学活動、そして、多くの人を驚かせた最期までを、詳しく解説します。

なぜ、彼は自らの命を絶ったのか。その謎に迫りながら、彼の作品が現代に生きる私たちに何を語りかけてくるのかを考察します。

目次

芥川龍之介の生い立ち

芥川龍之介は1892年(明治25年)に東京市京橋区入船町(現在の東京都中央区明石町)で生まれました

彼は牛乳製造販売業を営む新原敏三とフクの長男として誕生。戸籍上の名前は「龍之介」ですが、周囲では「龍之助」と記されることが多く、芥川自身は「龍之助」の表記を嫌いました。

幼少期、母親が精神に異常をきたしたため、生後7か月で母の実家である芥川家に預けられ、伯母のフキによって育てられました

11歳のときに母親が亡くなり、その翌年に伯父・芥川道章の養子となり、芥川姓を名乗ることになりました。芥川家は旧士族の家系で、江戸時代には徳川家に仕えていました。

芥川は1898年に江東尋常小学校に入学し、東京府立第三中学校を卒業するときには「多年成績優等者」の賞状を受けました。その後、1910年に第一高等学校に進学し、成績優秀者として無試験で入学する制度を利用しました。この時期に久米正雄や菊池寛らと同期入学し、2年生からは寄宿寮に入りましたが、寮生活にはあまり順応しませんでした。

1913年に東京帝国大学文科大学英文学科に進学し、1914年には一高の同期とともに同人誌『新思潮』を刊行し、アナトール・フランスの作品の翻訳や初めての小説『老年』を発表しました。

その後、青山女学院英文科卒の吉田弥生という女性と結婚を考えましたが、家族の反対で実現しませんでした。1915年には代表作のひとつ『羅生門』を「芥川龍之介」の名で発表しました。

芥川龍之介の文学活動

芥川龍之介の文学活動は、多岐にわたる創作活動と文学的な論争を特徴としています。

彼の代表作『鼻』は、1916年に『新思潮』の創刊号に掲載され、夏目漱石に絶賛されました

同年、芥川は東京帝国大学文科大学英文学科を卒業し、その後海軍機関学校で英語教官として勤務しながら創作活動を続けました。

1917年には最初の短編集『羅生門』を刊行し、翌年には第二短編集『煙草と悪魔』を発表しました。芥川は短編小説を中心に数多くの作品を発表し、その中でも『羅生門』や『地獄変』、『芋粥』などが代表作として知られています。

1920年代には、芥川は中国を訪れるなどの経験から紀行文も執筆し、その後も私小説的な作品を書き続けました。

しかし、1925年頃から健康を崩し、創作活動も減少していきました。それでも彼は『桃太郎』など社会的なテーマに対する鋭い視点を持った作品を発表し続けました。

芥川龍之介の自殺の理由

芥川龍之介は1927年7月24日の未明、睡眠薬を大量に服用して自殺をはかりました。享年35歳でした。

自ら命を絶った原因には、健康問題や家族の問題、親しい女性とのトラブルなどがあったとされています。

芥川は家族や友人への遺書を残していたほか、親しい友人だった小穴隆一(洋画家・随筆家)には事前に計画を知らせていました。

自殺に至るまでには芥川の中でさまざまな問題が交錯していたと考えられるものの、決定的な理由となるものはなく、芥川自身が残した「将来に対する唯だたぼんやりした不安」という言葉が彼の心の内を複雑に物語っています。

自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。

或旧友へ送る手記 – 芥川龍之介

芥川龍之介の代表作

芥川龍之介の代表作は数多くありますが、特に有名な10作品を以下に紹介します。

羅生門

平安時代の京都を舞台に、人々の心の闇を描き出した傑作。人間の悪の深淵をえぐり出し、読者に衝撃を与えました。

自分自身の鼻が異様に大きくなった男の苦悩を描いた作品。人間のコンプレックスや孤独感が切実に描かれています。

蜘蛛の糸

釈迦が地獄に落ちた罪人を救おうとする物語。仏教的な教訓を寓話的に表現した作品です。

藪の中

藪の中で起きた殺人事件の真相を、複数の視点から描いた作品。人間の信頼関係の脆さを描いた心理サスペンスです。

地獄変

容貌の醜い女を地獄絵図のモデルにするという残酷な物語。人間の美醜に対する価値観や、権力者の暴虐さを描いた作品です。

河童

日本に現れた河童との交流を描いたファンタジー。現代社会への皮肉や風刺が込められた作品です。

芋粥

貧しい男が、ある日手に入れた芋粥を巡って葛藤する物語。人間の欲望と倫理の狭間を描いた作品です。

杜子春

中国の寓話をもとに、人間の欲望と幸福について描いた作品。お金と幸福の関係を考えさせられる寓話です。

トロッコ

列車事故に巻き込まれた人々の心理を描いた作品。生死の境目や人間の弱さ、強さを描いた群像劇です。

芥川龍之介の関連人物

芥川龍之介は、数多くの文人たちと交流し、影響を与え合いながら文学の世界で活躍しました。彼を取り巻く人物たちの存在は、芥川文学をより深く理解する上で欠かせません。

ここでは、芥川龍之介と特に深い関係にあった人物たちを、画像とともにご紹介します。

夏目漱石

芥川龍之介の文壇デビューを後押ししたのは、日本の近代文学を代表する作家、夏目漱石です。漱石は、芥川の才能をいち早く見抜き、彼を弟子として指導しました。漱石の写実的な作風は、初期の芥川作品にも大きな影響を与えています。

菊池寛

芥川の親友であり、文藝春秋社の創業者としても知られる菊池寛。芥川の死後、彼の名を冠した「芥川賞」を創設し、日本の文学界に大きな貢献をしました。二人の友情は深く、多くの手紙や随筆に残されています。

室生犀星

室生犀星は、芥川とほぼ同世代の詩人であり、親しい友人でした。二人は軽井沢で共に過ごし、文学論や人生観について語り合ったと言われています。室生の詩は、その繊細な表現と情感豊かな世界観が特徴で、芥川にも影響を与えたと考えられています。

他の関連人物

  • 谷崎潤一郎: 同時代の作家として、文学論争などを繰り広げました。
  • 佐藤春夫: 芥川と親交が深く、多くの手紙が残されています。
  • 河上肇: 社会主義思想家として知られ、芥川は彼の思想に影響を受けました。
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